第14話 黒一点

「……あのう、先生、矢沢先生?」
 戸波先生が矢沢先生の顔を覗き込んで手をかざした。
「なっ、何よ。失礼ね」
 矢沢先生ははっとしたように顔を上げると、眼鏡を中指でくいっと直して戸波先生に向き直った。
「それで、河合さんの特待生の件なんですけど、悪いのはぜーんぶ私ってことで彼……じゃなかった彼女の能力的に問題ないっていうことですよね?」
 戸並先生が気持ち悪いくらいにこやかな笑顔で言った。
「さっきからそう言ってるでしょう。私が責任持って面倒見ます」
 矢沢先生が不機嫌そうに答えた。
「でも将来のことってわからないですし、入学後に途中で見込み違いだったからやっぱり退学! なーんてことにはならないですよね? 河合さんにとって一生の問題ですから、卒業後の進路まで含めて面倒見てくれないと安心できないっていうか」
「くどい。男どもはいざ知らず、私に二言はありません。きっと河合さんを世界で通用するソプラノ歌手に育ててみせます!」
 矢沢先生がびしっと僕のほうを指差した。三人の視線が僕に集まった。そこでなんで僕に振るの? なんとなくその場の空気に押されるように立ち上がってお辞儀した。
「よ、よろしくおねがいしますぅ」
 声が上ずって甲高い女の子のような声になってしまった。は、恥ずかしい……。そっと視線を上げると、矢沢先生が満足そうに頷いているのが見えた。
「良かったわね、おめでとう! 河合さん!」
 戸波先生が顔を赤くして口元を押さえて目に涙を溜めている。あれは感動してるんじゃなくて笑いをこらえている顔だな。
「じゃ、用は済んだから帰るわね」
「せっかく久しぶりに会えたのにもう帰っちゃうんですか? 表彰式くらい見ていってくれればいいのに」 
「ニ、三組は聴いたし、十分レベルはわかりました。これからこの子をつれて学園に帰らなきゃいけないの」
「えー、もう帰るの? まだ飲み終わってないのにぃ」
 アマミヤさんがメロンソーダの缶を揺らして唇を尖らせた。
「だったらここから歩いて帰ることね」
 矢沢先生はアマミヤさんの抗議を気にせずスタスタ歩き始めた。
「いじわるぅ」
 アマミヤさんが矢沢先生の後を追いかけて駆け出した、と思ったら逆再生のように後ろ歩きで戻ってきた。
「のど乾いたでしょ、これあげる!」
「え、ちょっと」
 僕の返事も待たずにメロンソーダの缶を押し付けると、じゃあね、とミニスカートを翻してまた駆けて行った。
 僕と戸波先生は自販機コーナーに取り残された。僕は不思議な空間から解放されて我に返った。
「あの、先生さっき話してたことなんですけど……」
 自販機コーナーの脇をぞろぞろと他校の女子生徒が歩いてきた。
「いっけない!次の組終わっちゃったわ。もう表彰式じゃない。はやく帰りましょ河合さん……じゃなかった河合君」
 先生が顔をしかめて時計を見ると、僕の学生服の袖を引っ張って歩き出した。
「ちょ、先生ジュースがこぼれます」
「ああもう、そんなもの早く飲んじゃいなさい!」
「……他の子には黙っててくださいよ」
 アマミヤさんの顔のアップを思い出した。これって間接キスっていうのになるのかな。いや、時間がないんだ仕方がないじゃないか、捨てるのももったいないし。半分くらいあるメロンソーダを一気に飲み干して、缶をゴミ箱に投げ入れた。炭酸が鼻の奥にきた。
 僕たちは他校の生徒の行列の中に混ざってホールの中に入った。
「ちょうど目立たないでうまく中に入れたわね」
 戸波先生が振り向いて小声で僕に言った。
 こんな女子ばかりの行列に、僕だけ学生服でまぎれこめるわけがないじゃないか……。
 ようやく僕の学校の列にたどり着いて、端っこの通路側の席に腰掛けた。
「河合君、どこ行ってたの? さっき他校の子たちと一緒に入ってきたからさ、とうとう女子校に引き抜かれたのかと思ったわ」
 隣の席に座っていた斉藤さんがおかしそうに言った。見てたんだ……。
「んー、それに近いことはあったかもねぇ」 
 先生が誰に言うとでもなくつぶやいた。思わずげっぷが出た。(つづく)