ソプラノ~僕が天使になるまで~

『ソプラノ~僕が天使になるまで~』第14話

2012年08月04日19:57
第14話 黒一点

「……あのう、先生、矢沢先生?」
 戸波先生が矢沢先生の顔を覗き込んで手をかざした。
「なっ、何よ。失礼ね」
 矢沢先生ははっとしたように顔を上げると、眼鏡を中指でくいっと直して戸波先生に向き直った。
「それで、河合さんの特待生の件なんですけど、悪いのはぜーんぶ私ってことで彼……じゃなかった彼女の能力的に問題ないっていうことですよね?」
 戸並先生が気持ち悪いくらいにこやかな笑顔で言った。
「さっきからそう言ってるでしょう。私が責任持って面倒見ます」
 矢沢先生が不機嫌そうに答えた。
「でも将来のことってわからないですし、入学後に途中で見込み違いだったからやっぱり退学! なーんてことにはならないですよね? 河合さんにとって一生の問題ですから、卒業後の進路まで含めて面倒見てくれないと安心できないっていうか」
「くどい。男どもはいざ知らず、私に二言はありません。きっと河合さんを世界で通用するソプラノ歌手に育ててみせます!」
 矢沢先生がびしっと僕のほうを指差した。三人の視線が僕に集まった。そこでなんで僕に振るの? なんとなくその場の空気に押されるように立ち上がってお辞儀した。
「よ、よろしくおねがいしますぅ」
 声が上ずって甲高い女の子のような声になってしまった。は、恥ずかしい……。そっと視線を上げると、矢沢先生が満足そうに頷いているのが見えた。
「良かったわね、おめでとう! 河合さん!」
 戸波先生が顔を赤くして口元を押さえて目に涙を溜めている。あれは感動してるんじゃなくて笑いをこらえている顔だな。
「じゃ、用は済んだから帰るわね」
「せっかく久しぶりに会えたのにもう帰っちゃうんですか? 表彰式くらい見ていってくれればいいのに」 
「ニ、三組は聴いたし、十分レベルはわかりました。これからこの子をつれて学園に帰らなきゃいけないの」
「えー、もう帰るの? まだ飲み終わってないのにぃ」
 アマミヤさんがメロンソーダの缶を揺らして唇を尖らせた。
「だったらここから歩いて帰ることね」
 矢沢先生はアマミヤさんの抗議を気にせずスタスタ歩き始めた。
「いじわるぅ」
 アマミヤさんが矢沢先生の後を追いかけて駆け出した、と思ったら逆再生のように後ろ歩きで戻ってきた。
「のど乾いたでしょ、これあげる!」
「え、ちょっと」
 僕の返事も待たずにメロンソーダの缶を押し付けると、じゃあね、とミニスカートを翻してまた駆けて行った。
 僕と戸波先生は自販機コーナーに取り残された。僕は不思議な空間から解放されて我に返った。
「あの、先生さっき話してたことなんですけど……」
 自販機コーナーの脇をぞろぞろと他校の女子生徒が歩いてきた。
「いっけない!次の組終わっちゃったわ。もう表彰式じゃない。はやく帰りましょ河合さん……じゃなかった河合君」
 先生が顔をしかめて時計を見ると、僕の学生服の袖を引っ張って歩き出した。
「ちょ、先生ジュースがこぼれます」
「ああもう、そんなもの早く飲んじゃいなさい!」
「……他の子には黙っててくださいよ」
 アマミヤさんの顔のアップを思い出した。これって間接キスっていうのになるのかな。いや、時間がないんだ仕方がないじゃないか、捨てるのももったいないし。半分くらいあるメロンソーダを一気に飲み干して、缶をゴミ箱に投げ入れた。炭酸が鼻の奥にきた。
 僕たちは他校の生徒の行列の中に混ざってホールの中に入った。
「ちょうど目立たないでうまく中に入れたわね」
 戸波先生が振り向いて小声で僕に言った。
 こんな女子ばかりの行列に、僕だけ学生服でまぎれこめるわけがないじゃないか……。
 ようやく僕の学校の列にたどり着いて、端っこの通路側の席に腰掛けた。
「河合君、どこ行ってたの? さっき他校の子たちと一緒に入ってきたからさ、とうとう女子校に引き抜かれたのかと思ったわ」
 隣の席に座っていた斉藤さんがおかしそうに言った。見てたんだ……。
「んー、それに近いことはあったかもねぇ」 
 先生が誰に言うとでもなくつぶやいた。思わずげっぷが出た。(つづく)

『ソプラノ~僕が天使になるまで~』第13話

2012年04月15日21:18
第13話 メロンソーダの福音

 僕たちは、売店脇の自販機コーナーにあるベンチに腰掛けた。
 アマミヤさんは立ったまま自販機を覗き込んでいる。
「生徒も居ることだし、喫茶店ってわけにも行かないしね」
 戸波先生が苦笑しながら言った。
 ガコーンと自販機からジュースが転がり出る音が響いた。アマミヤさんはミニスカートも気にせずかがみこんで缶を取り出すと、目をつぶり両手を添えて飲み始めた。見た目は大人っぽくてきちんとしてるのに、なんだか子供っぽい子だな。
 矢沢先生がきれいな眉間にしわを寄せてため息をついた。
「あの子、天宮響さんってもしかして、天才ピアノ少女の?」
 戸並先生がアマミヤさんを横目でちらっと見て、矢沢先生に小声で訊いた。
「そう呼ばれていたこともあったわね。親戚の子なんだけど、オーストリア留学を取りやめて来年から聖女で預かることになったのよ。おかげで理事会は喜んでるわ」
「律先輩の妹なんて聞いたことなかったし、てっきりまだお姉さまーとかやってるのかと思っちゃった」
「あのね、勝手に周りの子がやってただけで私が呼ばせてたんじゃないでしょう」
 矢沢先生がむっとした様子で言った。
「先輩かっこよかったですからね」
 戸波先生がうっとりした目つきでため息混じりに言った。
「私の用事は済んだわ。思い出話がしたいだけなんだったら帰るわよ」
 矢沢先生が細い眼鏡をかけ直して立ち上がろうとした。
「あっ、待ってください。訊きたかったのはソロパートの何がいけないかってことです」
 矢沢先生は立ち上がると腕組みして話し始めた。
「さっきも言ったでしょう、ばらばらだって。それぞれがきれいに歌ってもそれじゃ一緒に歌ってるだけで、合唱にはならないの。それぞれがその曲や歌詞を理解して、ひとつのイメージを表現しないとね。たたずまいや表情まで含めてひとつの作品なの。それが世界観ということ」
 たしかに歌詞の意味なんて考えたことなかった。せいぜい『わたし』とか女言葉で歌わなきゃいけないのが恥ずかしいってくらいだ。
 矢沢先生が僕のほうを見た。ぎくっとした。
「河合さんの歌唱力は突出しているわ。恋心を知って子供から乙女に成長していく恥じらいや戸惑いが、声の震えから表情、しぐさまにで表現されていた」
 恥ずかしくていやいや歌っているのが、なんだかすごくいいほうに解釈されてる……。
「でも突出しているだけに目立つのよ。どんなに少女の心情を切なく歌って見せても、それを歌っているのが学生服の男子生徒ではパロディになってしまうでしょう。パロディでは王道に勝てないの。あなたは河合さんを道化にしてるのよ」
 矢沢先生が戸並先生に向き直った。
「あはっ。私は男女平等論者なので、あんまりそういうのは考えたことないかな」
「ま、私も同じことをしようとしていたわけだけど。私も同じような経験をしてきたというのにね。皮肉ね。私の罪が彼女にとっては福音だったなんて。あるいは運命なのかも。私の越えられなかった壁を越えることを手伝うことが、私に与えられた使命……」
 矢沢先生がうつむき加減に髪をかき上げた。矢沢先生って話し方とか動きが大げさで少女漫画みたいだ。ふと見上げると僕のすぐそばにアマミヤさんがメロンソーダの缶をもって立っていた。
「お姉ちゃん変なスイッチ入ったみたい。こうなると長いのよね」
 彼女は僕の隣に座ると、あきれたような顔で言った。君だって十分変だと思うけどなあ。(つづく)

『ソプラノ~僕が天使になるまで~』第12話

2012年04月12日05:07
第12話 天宮響

 音楽ホールの正面エントランスは一面ガラス張りになっていて、外の光が差し込んでまるで教会のようだ。
「とりあえずどこか座りましょうか」
 戸波先生が辺りを見回して言った。僕も辺りを見回した。壁に寄りかかってうつむいていた髪の長い女の子が、顔を上げて僕たちのほうを見た。黒いセーターにクリーム色のひらひらしたワンピースを着ている。まるで美少女フィギュアみたいだ。学校の制服じゃないってことは今日の大会に出てる子じゃないのかな。こんなに可愛い子は僕の学校には居ない。
 目が合ってしまった。
 その女の子は壁から体を起こして僕の顔をじっとみつめてこっちにやってきた。
「えっ、何?」
 その子は十分至近距離になっても歩くスピードを落とさずに僕の顔を覗き込んできて、おでことおでこがくっつきそうになるくらい顔を近づけて、ようやく止まってくれた。
「あなたが、河合優さん?」
 その子は僕の顔をじろじろと見て言った。
「そ、そう、だけど……」
 僕は蛇ににらまれたようにその場で動けず、のけぞって息も出来ない。
「あなた本当に男の子なの? 本当は女の子なのに嘘ついてるんじゃないの?」
「ちょっとおやめなさい。河合さんにはそういうこと言っちゃダメって言ったでしょ」
 矢沢先生がその女の子を抱きかかえるようにして僕から引き離した。髪がふわりと揺れて、矢沢先生とは違うバニラアイスみたいな甘い匂いがした。
「いやぁだ、離してお姉ちゃん。ごめんなさいぃ」
 その美少女フィギュアの女の子は整った容姿とは裏腹に、まるで子供のようにじたばたともがいている。
「謝る相手が違います」
 矢沢先生が厳しい口調で言った。
「はい、ごめんなさい。河合さん。私は天宮響。ひびきって呼んでね」
 女の子は僕に向き直ってスカートの前で手を合わせて頭を下げると、顔を上げてにこっと微笑んだ。
 何なんだだこの子……!?(つづく)

『ソプラノ~僕が天使になるまで~』第11話

2012年02月21日08:00
 第11話 開かれた扉

 冷たい風が吹き抜けてざわざわと木々を揺らした。枯れ葉が乾いた音を立てて生き物のように小道のタイルの上を這っていった。僕は矢沢先生に抱きしめられたまま体が枯れ木のようになって、息をするだけで精一杯だ。
「ごめんなさい。私のせいであなたを苦しめて、傷つけてしまって」
 矢沢先生が耳元でささやくように言った。吐息交じりの甘く湿った感触に鳥肌が立つのを感じた。嫌なわけじゃないけど。
「それはどういうこと、ですか」
「私、聖女が共学化されてもあなただったら女声合唱を崩さないで済むと思って、それであなたを推薦したの。でもその後共学化が中止されてからのいきさつは知らなかったのよ。馬鹿な私のせいであなたを振り回してしまったのね。戸並先生からあなたが受けた屈辱や、あなたの事情を聞いたわ。それで今日のあなたの歌を聴いて、決心したの。私が責任を持ってあなたを聖女に入学できるように説得してみせます。だから私のところに来て頂戴。罪滅ぼしになるなんて思わないけど、私にあなたの才能を預けて欲しいの。お願い」
 矢沢先生が言葉をかみ締めるように言った。奇跡だ。矢沢先生に抱きしめられたまま視線だけで戸波先生を見ると、先生は右手で小さくガッツポーズをしていた。先生が何かしたに違いない。一体どんな魔法を使ったんだろう。先生は僕が見ていることに気づくと、握っていた拳をそのまま口元に持っていって咳払いをした。
 矢沢先生がはっとして腕を離した。僕は急に支えを失ってへたり込みそうになった。
「ちょっと風が出てきたみたい。こんなところで立ち話してると風邪引いちゃうから中に入りましょう。ねえ河合さん、律子先輩も」
 戸波先生がちょっとおどけたような口調で両手をこすりながら言った。
「その呼び方、お止めなさいって言ってるでしょう。教師がいつまで学生気分引きずってるの」
 さっきまでのシリアスな雰囲気を破られた矢沢先生がむっとした口調で言った。
「あっ、ごめんなさい。会うのは久しぶりだから懐かしくって。でも矢沢先生だって相変わらず先輩風吹かせてるじゃない」
「そ、それはあなたがちゃんとしないからでしょう?」
 さっきまでの怖そうな雰囲気とちがって、いつもの部室の女子トークみたいだ。矢沢先生のきつい言葉を戸並先生はぜんぜん気にしてない。この二人どういう関係なんだろう。結構親しそうだけど。
 戸波先生に促されて三人で通用口の階段を上った。重たい鉄の扉が開かれて、温かい風が吹いてきた。(つづく)

『ソプラノ~僕が天使になるまで~』第10話

2012年01月22日20:57
第10話 矢沢先生

 矢沢先生は左右に分けた長い前髪を揺らしながら、通用口の階段をゆっくりと下りてきた。全身すらっとしていて綺麗な人だな。背が高くてまるでモデルみたい。細い眉に切れ長な目、外国人のような鼻筋、薄い唇。戸波先生とはタイプが違う美人だ。でも細いめがねがなんか怖そう。
「矢沢先生、うちの子たちどうでした?」
 戸波先生が矢沢先生のほうへ歩み寄りながら言った。
「ここまでの組では比較的よかったんじゃない。このままいけば金賞かもね」
 矢沢先生は表情を変えずに言った。
「先生もそう思います? よかったわね、みんな。矢沢先生のお墨付きよ!」
 戸波先生が振り返って嬉しそうに言った。
「ただし、審査員が目をつぶって聴いてくれてればだけど」
 戸波先生が固まってしまった。矢沢先生のほうからこっちに近づいてきた。
「それぞれの素質はいいもの持ってるわ。でも各パートが綺麗な声で上手に歌ってるだけじゃ金賞は獲れないの。全体でひとつの世界観を表現できないとね。その点あなたたちはバラバラ。あなたちゃんとそういうの教えてるの?」
「あはっ、相変わらず手厳しいですね。うちは楽しくやるのがモットーなので」
 戸波先生が無理に笑顔を作って言った。みんななんとなく不穏な空気を感じて、硬くなって顔を見合わせている。たしかに真剣に打ち込んでいたとはいえないけど、これまでやってきたことを否定されるのはしゃくだ。他の組よりちょっとでもうまけりゃそれでいいじゃん。
「一番の問題はソロパートよ」
 矢沢先生が僕のほうを向いた。目が合った瞬間、体に電気が走ったように感じた。
「あなたがついていて、どうして河合さんを他の女子と同じように扱ってあげないの?」
「あわわ。みんな、私は矢沢先生とお話があるから先に席についてて。斉藤さん、願いね!」
 矢沢先生が言い終わる前に戸波先生が早口で言った。
「はーい、わかりましたあ。一年生、二年生ついてきて。失礼します」
 女子部員たちが二人の先生の脇を会釈して通り抜けていく。僕も後についてこの気まずい空間から抜け出そうとした。
「待って河合さん。今日はあなたに会いにきたのよ」
 矢沢先生が脇をすり抜けようとした僕に後ろから言った。僕が立ち止まると、通用口のドアをくぐろうとした女子部員たちも立ち止まった。その場にいた全員の視線が僕に集まっているのを感じた。
 こつこつと足音がしてすぐ後ろに気配を感じた。それから圧迫感。矢沢先生に後ろから抱きしめられたんだとわかるのに数秒かかった。
「えっ、えっ、何? 河合君どうしたの?」
 見ていた女子部員がざわついた。
「ほらみんな早く。次の演奏が始まってしまうわよ」
 戸波先生が腕時計を指差して部員たちを行かせた。金属製のドアが閉まった。矢沢先生につかまったまま、僕は動くことが出来なかった。背中の辺りに柔らかいものが当たってる。大人の女の人のいい香りがした。(つづく)

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